Ⅰ. クレオパトラはバラを愛したのか① -プルタルコス「対比列伝」

「クレオパトラはバラを愛した」というイメージ

「クレオパトラはバラを愛した」。こんな表現を見かけたことはないだろうか。
「クレオパトラはバラの香油をぬっていた」「毎日バラ風呂に入っていた」「恋人アントニウスを迎え入れるときには、バラの花びらを床に敷き詰めていた」…

化粧品の宣伝文句や、美容雑誌、あらゆるところで、「クレオパトラはバラを愛した」という表現が使われている。でも、それは本当だろうか?誰か、「クレオパトラがバラを愛している」場面を見たのだろうか?
それとも、「私クレオパトラはバラが好きなの」と言った、なんていう記録でも残っているのだろうか?

試しにネットで「クレオパトラ バラ」と検索してみると、特に、
恋人アントニウスを迎え入れるときには、バラの花びらを床に敷き詰めていた
という逸話がよく見つかった。しかしながらこのエピソード、ウェブサイトによって少々内容が異なってくる。
「バラの花びらを床から70センチも敷き詰めた」「46センチ」「20センチ」「大理石の床に敷き詰めた」「船の上に敷き詰めた」「カエサルを迎え入れるときに」…

なぜこんなにも微妙に違うのか?!
この、「クレオパトラが誰かを迎え入れるときに、バラの花びらを幾分か敷き詰めた」という情報はどこからやってきたのだろうか?

どのウェブサイトも、
「クレオパトラはバラを愛し、その花びらを床に敷き詰めて………、といわれている」と、そのソースを示すこともなく、簡単に終わってしまっている。それを言ったのは誰なのか?出典はどこなのか??

ソースを…示してほしい…


ところで実は、クレオパトラに関する、現存する資料や遺跡・遺物は意外と少ない。クレオパトラの墓も、彼女自身が書いた本(これに関しては諸説ある。後述)なども今のところ見つかっていない。彼女とバラを結びつける物的証拠はない。

となるとおそらく、彼女とバラに関する話も、「クレオパトラがバラを愛した」、というような話を伝聞した誰かが記述し、それが後代に伝わってきた、という可能性がある。
そう考え、まずはクレオパトラと比較的近い時代の著名な伝記作家・プルタルコスの著作「対比列伝」を読んでみることにした。「対比列伝」は、海外のウェブサイトで無料で読むことができる。

(私は日本語訳を読む際には下記の本を図書館で借りた)

ちょこっとメモ…「対比列伝」の著者プルタルコス
50-125年頃、カイロネイア生まれの歴史家。その著作対比列伝」は、ギリシアとローマの著名な人物を対比した歴史評論。例えばギリシアのデメトリオスとローマのアントニウスをあげ、二人の生きざまをあげたのち、
その死に方は両方とも感心ができないけれども、デーメートリオスの方が余計に謗られるのは、甘んじて捕虜となった上、監禁されたまま三年間も、飼馴らされた野獣のように、酒や食物を当てがわれて満足したからである。ところがアントーニウスは、卑屈にみじめに不名誉に死んだが、それでも敵が自分の身を思うようにする前に自決した。
           (「プルターク英雄伝 11」岩波書店、p.172)
といった調子で2人を比較し、(かなり辛口に)評するという書物である。
実はプルタルコスの祖父の友人が、クレオパトラ治世下で宮廷にも出入りしていた医者であったので、間接的な口頭証言も得ているという、クレオパトラ研究では欠かせない資料だ。

この「対比列伝」には、カエサル、アントニウスというクレオパトラとかかわりの深い2人ローマ人の伝記が収録されており、その中でもちろんクレオパトラも登場する。この2人の章を読むことで、クレオパトラの人生を少したどることができる。
カエサルの前に「絨毯からくるくるパっ」と登場したエピソードや、毒蛇に「胸を噛ませて」自死した有名な最期も、この著作の中に記載がある。
(「」をつけた箇所は、実は正確な記述ではない。また後日書きます)

この中に、クレオパトラとバラを結びつける記述があるのではないか?

期待して読み進めたが、驚いたことに、クレオパトラがバラを敷き詰めたという話はおろか、バラの話は全く出てこなかった。「カエサル伝」「アントニウス伝」の章で、「Rose」「petal」「flower」など関連しそうなワードを検索しても、それらしいものはヒットしない。

しかしながら、一つ、お!と目につく場面があった。
カエサルの死後、クレオパトラがアントニウスの呼び出しを受けて、豪華な船に乗って出向く、という場面である。ここでは、クレオパトラがアントニウスを懐柔するために、その美と財力を爆発させている。もしかしたらこの場面に、恋人アントニウスを迎え入れるときには、バラの花びらを床に敷き詰めていたエピソードにつながる、それらしい記載があるのではないだろうか?

艫が黄金で飾られ、緋色の帆が張られた船に乗って…彼女(クレオパトラ)自身、絵画に出てくるアフロディテのように着飾り、金糸の布で作られた天蓋の下に横たわっていた。…さまざまな薫香のふくよかな香りが両岸に広がり、川辺にいた住民が両岸で女王に連れ添って歩き、都市の住民はこの情景を見ようと降りてきた。…
「クレオパトラ」白水社、p.51

確かにいい匂いはただよっていそうだ。しかしバラの花びらを敷き詰めたとも、バラの香りがするとも書いていない。クレオパトラがバラを愛した、またはその花びらを床に敷き詰めてアントニウスを迎えた、という話の出どころはプルタルコスではなさそうだ。

それではプルタルコス以外に、クレオパトラとバラを結びつける証拠はどこにあるのだろうか?それを探すためには、まず、クレオパトラに関する資料を整理しておく必要がある。

次回は、クレオパトラとバラを結びつける証拠を探すべく、まずはクレオパトラに関する主要な資料についてまとめてみようと思う。

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